あほ新婚旅行記
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まえがき

5/17・前日

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5/18・到着

5/18・パペーテ

5/18・ヴァイマ

5/18・ベルベデール

5/19・ボラボラへ(現ページ)

5/19・ボラボラ到着

5/19・室内

5/20・午前

5/20・ラグナリウム

5/20・テマヌアタ

5/20・ダンス

5/20・サメ

5/21・無人島

5/21・バンブーハウス

5/22・4WDサファリ

5/22・ヴァイタペ

5/22・ディナー

5/23・さよならボラボラ

5/23・さよならタヒチ

あとがき







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ご感想お待ち申し上げます。








いよいよボラボラへ・極限の機内
教訓「揺れるにもほどがある!雨のばかやろー!」


飛行機の時間はAM8:35。チェックアウトはAM7:35。
チェックアウトは込み合うので早めに部屋を出なくては。
だから、かなり早くに朝食を取らなくてはならない。前の晩、6時に目覚ましをセットした。
6時に起きた。が、目覚ましの音量が気になった。小さくなってきてる?
そりゃ、数々の国内旅行にずっとついてきた目覚ましだから、電池が切れてもおかしくない。
旦那のシェーバーの電池やカメラの電池は気にして予備があるけど、
この豆電池までは無いぞ。寝起きの悪いこの夫婦に危機が迫っているのか…。

わずかな疑問を頭の右の奥のしわの中に隠しながら、旦那をたたき起こした。
そとはきれいな朝焼け。モーレア島の空や海がピンクに染まっている。さあ、カメラカメラ。
ビデオビデオっと。イイカメラでないと、写らない。私の特価カメラでは写らなかった。
でも義兄さんに借りた高級ビデオでは撮る事が出来た。こんなところで差が出るとは。
もそ〜っと起きた旦那のヘアスタイルはゴクラクチョウのようにエキサイティングだった。
記念に1枚カメラに収めた。荷物はどうせすぐ開けると思うので、適当に詰めていた。
適当に着替えて、適当に着替えても、この格好でボラボラへ行くから信じられない。
私はどこに旅行に行ってもほとんどスタイルが変わらない。
写真には同じような格好の私が残る。今回もそうなんだけど、もっと女らしい格好を
着ればよかったと、写真を見るたびに後悔している。
でも、私は私なんだし、しょうがないよねえ。

で、そのだらしない格好で朝食を取る。
テーブルの上に飾ってあったハイビスカスを耳にさしてみる。
6時きっかりに起きて、もう完全に頭は起きているので
ハイテンションになりつつある私と、さっき起きたばかりで、
まだ完全に寝ぼけている旦那との組み合わせはかなりちぐはぐな夫婦に
見えるだろう。それにしても私たちって少食だと、まわりの白人を見て思っていた。
朝から気持ち悪いほど食べる。ベーコンてんこもり、
スクランブルエッグてんこもり、パン食べ放題。見ているこっちが気持ち悪い。
手短に朝食を終え、急いで部屋に戻り、出発する準備を急いだ。
この時思ったんだけど、旦那のスーツケースの中はすでに汚くなっていた。
もっと丸めたり、押し込めば、まだまだ楽に蓋を閉めれるのに…と。
でも直してやる暇なんて無かった。人の荷物より自分の荷物。
私は日本出発前日にやってやったんだから。ああ、眉墨。

予定通り、7時20分に部屋を出る。フロントに行くと、チェックインした時と
同じ面子がそろっていた。ホテルを7時45分に出発。
また最終日に戻ってくるので寂しさは無かった。
看板の多いカーブを曲がると、ファアア空港の看板が見えた。

(出発前まで)

ガラガラとスーツケースを転がして、係員の指示のまま国内線のチェックインの
窓口までやってくる。途中の休憩所(?)みたいな椅子とテーブルのあるところで
軍隊の格好をした10数人の男の人たちが、ウクレレかたてに歌っていた。
迷彩服の彼らから流れるタヒチアンミュージックはちょっと乙なもんだった。
もっと聞きたいけど、係員さんの後を追うしかなかった。
窓口の前にいても彼らの歌声はにぎやかに耳に入ってきた。ボラボラ行きのチケットを出して、
彼に託すと、タヒチ語だかフランス語だか英語だか、私たちの語学では
何を話していたのか不明だが、私たちの代わりに搭乗手続きをしてくれた。
待っている間、印象的だったのが、白いパンツに赤い襟シャツをきてヘアバンドをした、
やや長髪のお兄さんが、次々とスーツケースをカートに積んで、
一度に6個ほど運んでくるのが、私たちが待ってる間だけで3回続いたことである。
窓口にスーツケースを預けると、猛ダッシュで戻って行った。
「兄ちゃん、働いてるなあ。」と感心した。係員さんから、搭乗券を受け取り、
搭乗口まで歩いて行った。搭乗口といっても、病院の待合室みたいな少し広めの
廊下のようなところに駅のホームにあるみたいな椅子が縦に並んでいて、
椅子の左右の壁にはタヒチの絵が飾ってある。
奥のほうに外へ出る扉が2つ。ここから、出て、飛行機まで歩いて行くのだそうな。
係員さんが、「この2つの扉のどちらかから出るんですが、99%左の扉からに
なると思います。僕が案内したときはこっちから行った記憶しかないですんで。
間違い無いですよ。」と言ってた。
あと、空港についた後の手続き説明を聞いて係員さんは去って行った。

このツアーは、JTB大阪のタヒチ・ボラボラハネムーンパックなのだけど、
私たちの他にもう1組同じパックのカップルが参加していた。O夫妻としておく。
O婦人のほうから、「私たち、内容も全部同じのツアーなんですね。
これからご一緒することも多いでしょうね。よろしくお願いします。」と完璧な標準語で
話しかけられた。伊丹空港からいっしょに行動しているのに、
何でまた、標準語で話すんだろう。と、この時思ったんだけど、結局、最後まで
この夫婦は標準語のままだった。尼崎から来ていると言っていたのに。
尼崎は立派な大阪弁を話すのが普通だから、きっと、結婚と同時に転勤か何かで
引っ越してきたんだろう。私は標準語なんかにひるまない。常に大阪弁で返答していた。

O夫人は美人だった。とてもスマートで、英語も完璧。ひろりんとは月とスッポンである。
ま、いいか。O夫妻はごくぼらを知らないのだろう。滞在中いろんな事を聞いてきた。
「ラグナリウムってどんなところ?」「さめの餌付けってどんな風にするの?」
これは基本だろうと思うこととか。でも、何も知識が入ってないのも、
新しい発見が多くて楽しい旅だろうなあと、私は少しうらやましかった。
搭乗が始まる少し前、フランス語(だと思う。)で「ボラボラ島行きの飛行機は
何番から何とか〜。」と放送があった。多分こんなこと言ってたんじゃないかな。
すると、今まで無関心みたいに椅子に座っていた人々が、わあっと左の扉に集まった。
係員さん当り。座布団を一枚あげよう。

(極限の機内にての巻)

左側の扉が開くと急にざわめき出した。搭乗券の半券を係りの人が1人ずつちぎっている。
確認しているのかと思うけど、いちいち見てないみたいなので偽造してもわからないだろう。
ちぎり終えた人は一目散にダッシュして飛行機に向かう。
飛行機の全景を写真に収めたかったけど、そんなことしている暇なんて無かった。
途中で振り向いた旦那を飛行機の一部と納めることが出来たけど、それが精一杯だった。
「左側、左側」っと。タラップを登り、シュチュワードさんの「ボンジュール」にも答えず、
(愛想笑いはした。)機内へなだれ込む。一番後ろの左側をゲット。でも、すぐに、
シュチュワードさんに「ここはだめ。前へ。」と言われ、1つ前へずれる。
でも、これで良しと、とりあえずシートベルトを締める。周りを見ると、
O夫妻が右側に座っている。あれ?やっぱりごくぼら族じゃないや。
言ってあげればよかったかな。と、ちょっと反省した。それにしても、この天候が気になる。
空が真っ白なのよね。雲が多い。雨も少し。

満載の乗客を乗せて飛行機は離陸体制に入った。AM9:00ぐらいだったと思う。
30分ほど遅れていた。飛び立つとすぐ、モーレア島が見えた。きれいきれい。
ビデオをのぞきながらすでに感動していた私は、飛行機がちょっと揺れすぎていることに
気づくのが遅れた。その、揺れの中で、シュチュワーデスさんがドリンクを前から配り始めた。
4列目まで配っただろうか、突然、ガクンと機体は大きく揺れた。
シュチュワーデスさんが、「キャー」と言ったか言わないかはわからないけど、
配るのをやめて後ろまでダッシュしてきたのは覚えている。

クルーが私たちの後ろの、そう、最初に私たちがゲットした席に座って
シートベルトを締めた。飛行機はどんどん揺れ方が激しくなる。
この世の物とは思えないものすごい揺れ方。
でも、後ろのクルーは陽気に笑いながら会話を楽しんでいる。
ここにプロと般ピーの違いを確認した。でも時たま左下にはきれいな島々が見える。
ビデオカメラを預かって窓際に座らせてもらっている
立場上、この島国はビデオに収めなければならないと言う使命が私にはあった。
旦那は無言である。耐えている。固まって動く気配が無いので声は掛けられなかった。
ああ、もう限界。と、思った瞬間にまた美しい島が…。ビ、ビデオ〜。
極限状態の私は幻でも見ているような勘違いもしていた。
「ああ、これがボラボラ島。この海の色を見るためにここまで来たんよ。」
この高度でボラボラ島なわけないじゃん。隣の島を見て感動していた。

ようやく、飛行機は高度を下げ、真っ青な二人を真っ青な海
囲まれた空港へ降ろしてくれた。
「すごい、揺れ方やったなぁ。あと5分乗ってたらヤバかったわ。」
「俺も。無言やったやろ。きててん。」
今朝、ホテルで気持ち悪いほどお腹いっぱいに食べてた人たち、大丈夫だったのかなあ。
ボラボラ空港の看板前で写真を撮りたかったけど、とてもそんな状態じゃなかった。
心も体もぼろぼろだった
私たちだけじゃなく、雨のせいもあるのか記念撮影する人は少なかった。






後日談(2000/10/26追記)
タヒチの国内線は小さなプロペラ機数台を使いまわしているので
ボラボラ島や、モーレア島などの人気の高い島以外は、
週に1便とか10日に1便とか、そういう状態である。もちろん、
いつも飛んでるわけじゃないので、欠航とかになると悲惨である。
地元の人々は「しかたないさー。」みたいな感じで文句は言わないらしい。
でも、観光客はツライよねぇ。

あの揺れには死ぬほどまいった。過去最高の揺れ方だった。今でも
はっきり覚えてるよぉ。気持ちわる…。前後左右上下に揺れる。
椅子に座ってて腰が浮くんだからそーとうのもんだ。
ボラボラに行くという大きな課題が無かったら二度と乗るまい。
私は揺れではめったに顔が青くならないが、この時は真っ青になった。
旦那は真っ青を通り越して真っ白になってた。死人みたい。
朝食を少なめにしといてよかったってホントに思った。

O夫妻はバリバリのお金持ちで、バリバリの標準語で、常に品を
かもしだしていた。うちの夫婦には無いものだらけ。
私たちはもしかして場違いなのだろうか、って悩んだほどだ。
が、純粋にタヒチを初めて見る、初めて経験するという旅行の
スタイルに、私はとても羨ましい感触をおぼえた。
ごくぼらを初め、多数の情報HPを完璧に見て、プリントアウトして
タヒチに乗り込んだ私たちには、あまり新鮮さが無かったのだ。
まー、旦那はちょこっとしか見てないのでずいぶん感動してたみたいだけど。
時には何も知らないまま、異国の地を訪れてみたいなって思ったのです。



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